それでも道場へ向かう
共有
柔術は、上達に時間がかかります。
どれだけ時間をかけても、その分だけ結果が返ってくるとは限りません。
10年続けたからといって、世界チャンピオンになれるわけでもありません。
毎回の稽古が楽しいわけでもありません。
身体が重い日もあります。
思うように動けない日もあります。
何も変わっていないように感じる日のほうが、多いかもしれません。
それでも、道場へ向かう人がいます。
なぜ続けるのでしょうか。
毎回、はっきりした理由があるわけではないと思います。
ただ、長く続けているうちに、柔術はいつの間にか生活の一部になっていきます。
毎日走る人にとって、走ることが記録のためだけではなくなるように。
毎日書く人にとって、書くことが成果のためだけではなくなるように。
柔術も、続けているうちに、少しずつ自分の一部になっていきます。
同じことを何度も繰り返す。
道場へ行く。
道着に袖を通す。
稽古をする。
道着を洗う。
また道場へ行く。
その積み重ねは、人だけでなく、道着にも少しずつ表れていきます。
新品の道着は、まだただの新品です。
生地は硬く、色もきれいで、形も整っています。
それはそれで美しいものです。
でも、何百回も稽古で着て、洗って、また着た道着には、新品とは違う表情があります。
生地は身体になじみ、色は少しずつ変わり、手触りも変わっていきます。
そこには、その人が稽古してきた時間があります。
汗をかいた日があります。
行きたくない日にも道場へ向かったことが残っています。
繰り返しが、いつも望んだ結果につながるわけではありません。
いつも前向きでいられるわけでもありません。
強くなっているのかどうか、自分では分からない日もあります。
それでも、また道場へ向かう人がいます。
柔術が好きだからかもしれません。
強くなりたいからかもしれません。
何も考えず、ただいつものように行くだけの日もあるかもしれません。
理由は、その日によって変わってもいいのだと思います。
ただ、続けていることだけは残ります。
人にも。
道着にも。
使い込まれた道着には、新品にはないものがあります。
長い時間をともにした道具だけが持つ風合いがあります。
それは、何度も稽古を重ねてきた人だけが残せるものです。